■ 第六回 ■
行動Mな友人。(2010・11.14)

■ 第五回 ■
「SとMの恋愛法則」。(2009.7.2)

■ 第四回 ■
共同作業。(2009.6.4)

■ 第三回 ■
結婚の条件。(2008.12.2)

■ 第二回 ■
ミスを指摘する。(2008.7.27)

■ 第一回 ■
味覚より相手。(2008.5.27)




もっといろいろ更新。
SとMでみる恋愛・仕事・家庭の法則。
この法則、未来をも変える凄さです。 うん。
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行動心理分析&攻略ブログ
■ 第三回 ■     −2008.12.02−

結婚の条件。

あたしは若いころから
「結婚はしない」と思っていた。

一緒にいたいならいればいいし
契約を結んでまで相手を縛るのも
自分を縛るのも意味がない気がしていた。
持っている服は窮屈なものが多いくせに
精神的に拘束されるのは苦手だったりする。

約束は相手の感情を見えなくする気がする。
例えば
あたしが寒そうにしてるときに
相手があったかいお茶を出してくれたら
すごくうれしい。
でも「寒そうにしていたらあったかいお茶をだしてね」と
約束を決めてそれに沿ってくれての行動なら
ちょっとうれしいどまりだ。
まぁ、ちょっとはうれしいんだけど。

あったかいお茶 がうれしいんじゃなくて
気付いてくれた気持ち がうれしいんだろうとおもう。
もしかしたら寂しがりなのだろうか。

とにかく、約束は気持ちを隠すから
出来るだけしたくないと思っていた。
自分からの気持ちも
相手からの気持ちも
あまり隠れてほしくない。
色々ぐずぐず考え、腹黒く見えたりするあたしだが
意外と純粋だったりする。

だから「交際する」という契約を結ぶのもいやで
出会う男性にはそれを会話の端々で匂わすように
努めていた。
今考えればそのときそのとき、
相手が自分に好意を持っていたかどうかは
定かではない。
無駄な行動だったのかも。

まぁ、だから結婚はまず考えない姿勢で生活を続けていた。
30を過ぎた未婚の友人たちは
「ひめまるがいるから大丈夫。」と
未婚のままいたときの安心材料にさせられるほどだった。

そんなあたしの「非結婚主義」が
何年か前から「結婚」をしてみている。



あたしが人間的に好きになる相手は
男女問わず
我が強く、コダワリが強く
なりたい職種や作りたい家庭など目標があり
実践している人が多い。


あたしが恋愛的に好きになるタイプは
我が強く、好き嫌いがハッキリしているのに
それを外に出せないでいる人だったりする。
大抵気持ちの肌が弱い、不器用な人が多い。

友人だろうと恋愛対象だろうと
出来るだけ
相手が小さくならないように
あたしが何を出来るだろう?とか考えたりし
相手の「困っている」度数を優先し行動する。

この姿勢は
ちょっと本格的なMっ気を思わせるぐらい不気味だ。
ほんとに、顔を食べさせるアンパンマン的姿勢。

誰かと近づきすぎると大きな病気をすることになるのだ。
毎日「おなかがすいた」と近くで言われれば
きっと毎日顔を食べさせてしまい
いつの間にか自分が誰だったかさえわからなくなるだろう。

そうなっちゃうのは解ってるから
人と生活すること事態
あたしには基本的に向いていないのだ。
だって、顔がなくなっちゃうから。

それにありたい自分を守りながら生きているあたしとしては
一人に執着することはありたい自分でいられなくなるのと同じだったりする。



そんな中で仲良くなった、夫。

自分が縛られる事にびびり
ありたい自分であるのが出来なくなるのにもびびり
義務感で一緒にいるのにもびびり
肩書きによって窮屈になるのもびびっていたのだが
この人は何一つ求めてこないタイプだった。

結婚したくない理由をすべて持たないあいてが
「結婚したいオーラ」を出していたので
あたしはとりあえず結婚してみることにした。

あたしはきっと
あたしを栄養にして自由になってくれる相手
を好きになるんだと思う。

さらにその中でも
一緒に生活する相手には
「あたしのあり方も認めてくれるような
栄養が互いに連鎖する人」を求めたのかもしれない。

そういえば一人のときは
自分の無理に気付かず
頻度高く入院並みの病気をしていたのだが
結婚してからは一度も無い。
やはり互いに栄養を与え合える相手が
生活には理想的だ。


しかし、この夫婦での栄養連鎖を考えると
あたしと夫、
どちらかが野菜でどちらかがウンチかと言うことになる。
あたしは夫がウンチでも存在を認める。
だからあたしが野菜側のレッテルをもらおう。